車を運転するということは

~自分の力で運転が出来る…。それは免許を取るということ~

 

ある日、自分の年齢が免許適齢期になって、自分の力で運転をして自分の選んだ道を自由に走ること。そう思いつつ実際教習所に通い始めたけど何か違う…。例えば
① 教官に言われることが今一わからなくて先にすすまない(自分って頭が悪いのだろうか?それとも運動神経?
② 予約と自分の都合が合わなくてなかなか予約が取れない久しぶりに運転してもうまくできない。
③ 予算の都合でなかなか教習所に入所できない、なにか良案はないだろうか?
④ 教習のカリキュラムがなかなか先に進まない。試験を受けたくても教官にgoサインがでない。
等々、免許を取得するのにもただ習うだけではすぐには免許を取らせてもらえない。
免許を取る為の道のりは決して個人の都合どおりには行かないみたいでしかしながらもし自分の学んだ操作や判断を誤った時に起こしてしまう事件の過失というのは重大で場合によって懲役に化すことや財産の崩壊にも繋がってしまいます。このようなことにならない為、又、快適な自分の生活設計のサポートになるためその内訳に関してここでご照会したいと思います。

免許を取得する目的で一つの壁として存在するのが「みきわめ」といってここでの項目が修了しないと次のステップに進めない、それは教官がイエスと言ってくれない限り同じ教習が続くというので、受ける生徒さんはかなり切なくやるせないと思います。この実情を業界側の立場をこっそり教えます。
教官の中でも、経験が浅い人や年代の若い教官達を上席にいる先輩教官の中でも風当たりが強く、後輩教官は周囲の状況を気にしながら修了を躊躇する。(しかし、実際甘い教習をしていたら事故率が高くなり、評判を落としてしまいますよね!)

① 自動運転の実用化
すべて自動に運転されれば運転は何も負担が無いように見えますが、機能性からすれば何でもない気がします。しかし、もしあなたがベテラン運転手が運転している所を助手席に乗っていたとして突然運転手が意識を失ってしまったらあなたはどうしますか?自動運転も全く同じでどんなトラブルで自動運転がキャンセルになるかわかりません。その時にあなたが運転を知っているか知らないかで十分状況が変っていくのであろうと感じます。その為にもたとえ自動運転により免許が必要なくなっても運転技術に知識の習得は必要であると感じます。